「何一つない、あるのは空想だけだ」

 生まれざる者。
 かつて、スペインという国では、帝王切開で生まれた人をそう呼んでいたらしい。姉さまが教えてくれた。
 産道を通らずに生まれてくるものは、生きていないと見なされていたのかもしれない。

 だとしたら、私はどうなのだろう。

 私は艦娘。
 人から生まれたわけではないから、当然、産道なんて通っていない。工廠の人工母胎が生産する艦娘の素体と、たくさんの資源とを組み合わせて作られた。
 人間と同じように赤い血は流れているけれど、私たち艦娘の血は、本当は赤くなくてもいいらしい。骨は艤装の重量に耐えられるように強化されている。人間みたいに、リン酸カルシウムではなく、チタンやコバルトクロム合金、ポリエチレン──たしか、そんなようなものが材料だったはず。筋肉だってそうだ。人間の限界を越えて動かせるようにされている。私たちは帝王切開で生まれてくるわけではないけれど、体の中身はもちろんのこと、人のかたちをしたものがこの世に生まれてくる過程は、おおよそ無視して、今ここにいる。

 私は生まれざる者なのかしら?

 私の姉さまはとても物知りで、私の知らないことをたくさん知っている。
「……それでね、マクベスは、『女の股から生まれた人間には帝王の座を奪われない』という占いを聞いて、とても喜んだのよ。自分が前の王さまを殺して、王さまになったから、自分もまた同じように誰かに殺されるんじゃないかって不安だったのね」
 そう話しながら、私の髪を梳いてくれる。
 なんだか少しくすぐったくて、でもそれが好き。

 私と姉さまの髪は似ている。
 長い黒髪。
 姉妹だからだろう。でも、私の髪より姉さまの髪のほうが、ずっと綺麗。
 艶やかで、柔らかくて。
 淡い花のような香りがする。
 春の風みたいな、ふわりとしたしなやかさ。
 暖かな日の光のような、ずっと包まれていたくなる優しさ。

 ──姉さまの髪は綺麗ね。

 私がそう言うと、姉さまはいつも決まって言うのだ。

 ──山城のほうが、ずっと綺麗で素敵よ。

「じゃあ、私たちはマクベスから王様の座を奪えるのね。だって私たち『女の股から生まれ』ていないもの」
 私が言うと、姉さまはくすくす笑う──ああ、その声の、微笑みの、なんて美しいことでしょう!
「ふふ、そういうことになるわね。私の山城は賢い子」
 ほめてもらえて、なんだか頬が熱くなる。
「姉さま、いつかふたりでマクベスから王様の座を奪ってしまいましょう。私と、私の扶桑姉さまならできるもの」
「ええ、できるわ。私と、私の山城なら」
「王さまになったら、ふたりだけの王国を作りましょうね。他の人たちは、王国の壁の外に出ていってもらうの。だって私と扶桑姉さまだけの国なんですもの」
「まあ、なんてすてきなのかしら。伊勢も日向もいない、私たちだけの国」
 姉さまが楽しそうに笑う。
 美しい笑顔。
 清らかで、はかなげで、この笑顔を守るためならなんだってしてみせる。
 姉さまのためなら死ねる。
 姉さまが望むのなら、それは私の望みだから。

 今日は一日中、扶桑姉さまと一緒にいたいけれど、あいにくそういうわけにもいかなかった。午後から近代化改修を受けるよう、艦隊の司令官から言われたからだ。いまいち名前も覚えられない、あの人。顔を見れば、ああ、そういえばこの人が私の司令官だったわ、くらいには思い出せるのだけれど。扶桑姉さまじゃないものを記憶に残しておいても邪魔なだけだし。
 時計の針は無情で、私に姉さまから離れろと、そればかり告げてくる。
「ああ、もう時間……扶桑姉さま、行ってきます」
「行ってらっしゃい。私の山城が強くなるの、嬉しいわ」
 姉さまがそう言うのなら、退屈なだけの午後も楽しく過ごせそう。

 近代化改修は、自分以外の艦娘を材料にする。そのせいか、共食いのようなイメージを持たれたりもしているらしい。私が所属する艦隊の司令官が、どう思っているかは知らないけれど、扶桑姉さまが喜んでくれるのなら、別になんだってかまわない。
 工廠に行くと、いつもの担当者が私の顔を見るなり、どこか気まずそうな表情を浮かべた。変な人、と思いながらふと見ると、そこに《材料》がいた。ああ、そういうこと。

「あ、あの……」
 不安そうに、今日の《材料》が口を開いた。 
 扶桑型二番艦、戦艦山城。
 私だ。
「扶桑姉さまは……?」

 自分自身の声なのに、なんだか妙な感じがする。
 でも、それは当たり前のことらしい。録音した自分の声には、誰でも違和感を感じるそうだ。普段、自分が聞いている自分自身の声は頭蓋骨の振動も加わっているのが原因だと、扶桑姉さまが教えてくれた。私の姉さまは本当に博識で素敵。
 目の前の私は、きょろきょろと周りを見回している。扶桑姉さまを探しているのだ。私の気持ちは私が一番よくわかる。でも、だめ。扶桑姉さまは私の姉さまなのよ。いくら私にだって、あげるわけにはいかないわ。

「扶桑姉さまは? 私、あの、どうなるんですか……? 早く姉さまに会いたいの」

 どうなる、と聞かれても、これから私が私を食うのだとしか答えようがない。
 私が私をじっと見つめる。
 私も私をじっと見つめる。

「心配しないで」
 私は私に言った。
「扶桑姉さまは、こうなることを喜んでくださってるから」
「姉さまが!? ああ……」

 私は笑った。
 私も笑った。

 扶桑姉さまが喜んでくれるなら、なんだってかまわないけれど、心のどこかがチクリと痛む。

 ──ああ、扶桑姉さま。姉さまより先で、ごめんなさい。山城は悪い妹です。